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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

今こそ「平和への権利」の好機(アンワルル・チョウドリ国連総会議長上級特別顧問)

【ニューヨークIDN=アンワルル・チョウドリ】

 

13年前の1998年、世界人権宣言50周年にあたって、ある市民団体のグループが「平和への権利」の確立を目指す世界的な運動を開始しました。彼らは、「恐るべき戦争、野蛮な行為、人道や人権への罪を経験した20世紀を経て、今こそ『平和への権利』が広く確立される好機にあると確信している。」と宣言しました。

彼らは「生存権は戦時には適用されない-この矛盾、そして人権の普遍性への冒涜は、平和への権利を認識することによって終わらせなければならない。」と強調したうえで、「戦争を礼賛する熱狂を克服し、平和の文化を構築するために、各々の国と社会における暴力や非寛容、不公正を防止するよう」全ての人々に呼びかけたのです。

しかしいずれの目標もまだ達成されていません。「平和への権利」は完全かつ公的、直接的な形では認知されていませんし、「平和の文化」を推進するために必要な努力も、現在の国連の仕組みの中では依然として軽視されたままになっているのが現状です。

 
国際社会は長年にわたって、平和と人権の普遍性を打ち立てるために努力してきました。国連は、その憲章において、平和はその存在のための中心的なものであると認識し、平和こそが、すべての人びとが人権を全面的に享受する前提条件でもあり結果でもあると確認しています。

「平和への権利」の集合的な次元が、「戦争の惨害から将来の世代を守っていく責任が人民にはある」という形で、国連憲章の前文で成文化されています。

人民が持つ「平和への集合的な権利」は、人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(1981年)の第23条1項においても宣言されています。また、1984年には、国連総会が、「この地球の人民は、平和への神聖なる権利を有する」として、「人民の平和への権利を守りその履行を推進していくことは、各国の基本的な義務を構成している。」と宣言しています。

また平和に関しては、1999年の「ハーグ世界市民平和会議(HAP)」が言及に値するものです。この会議では、4つの主要なアピール(①軍縮と人間の安全保障、②武力紛争の防止、解決、平和転換、③国際人道法・人権法と制度、④戦争の根本原因と平和の文化)から成る、「21世紀の平和と正義のための課題(=ハーグ・アジェンダ)」と題する野心的な政治文書が採択されました。

それ以来、市民社会は、平和、正義、開発、軍縮、人権尊重が、「平和の文化」を構築し現在の「暴力的文化」に立ち向かうために欠かせない要素であることを前提とするようになったのです。

この文脈でのパイオニア的なものとしては、1969年に第21回国際赤十字会議で採択された「人類には永続する平和を享受する権利がある」としたイスタンブール宣言と、1976年に国連人権委員会で採択された「すべての人間が平和と国際の安全という状況の下で生きる権利がある」とした決議が挙げられます。

ルアルカ宣言

私は、市民団体がもっとも前向きに「平和への権利」を主張してきたことを誇りに思っています。スペイン国際人権法協会(SSIHRLがこのキャンペーンを先導してきました。SSIHRLは、2006年10月に「平和への権利に関するルアルカ宣言」という画期的な文書を採択しています。これは、このテーマについて、最も包括的にかつ説得力をもって表現した文章であり、「平和への権利」が、国連総会で「近い将来」検討されることを求めています。それから今日まで、既に5年の月日が経過してしまっています。

ルアルカ宣言の非常に価値のあるところは、普遍性、相互依存、人権の不可分性、国際的な社会正義を実現する必要性といった、「平和への権利」を構成する要素について、効果的な方法で提示した点にあります。また、きわめて大胆かつ正しくも、「平和への権利」の効果は、男女の平等が実現されない限り達成されないと述べています。

あらゆる人民や国家が世界的に相互依存しているがゆえにおこる人権への脅威に対して、世界規模で協力して対応するには、平和や開発といったような「人間の能力を伸ばす」人権を承認することが必要です。実に、極度の貧困や飢え、病気が世界で蔓延している今日の現状は、基本的人権の明白なる侵害というだけではなく、多くの人びとにとっての真の脅威でもあるのです。

ルアルカ宣言の内容は、ビルバオ宣言においてさらに練り上げられ、さらに国際起草委員会(世界5つの地域からの10人の専門家で構成)での審議を経て、2010年6月2日に採択された「平和への権利に関するバルセロナ宣言」に引き継がれました。こうして、2006年にルアルカで始められた民間での成文化の試みが、国際的に認知されることになったのです。私は、この国際起草委員会の委員長を務めたことを光栄に思っています。そしてバルセロナ宣言は、スペインのサンチアゴ・デ・コムポステラで開かれた国際会議において承認されたのです。

2007年以来、人権理事会は、国際関係における連帯という基本的な価値を再確認しています。国連が2000年に採択したミレニアム宣言では、「世界的な課題には、平等と社会正義の基本原則に従って、コストと負担を平等に分配する形で対処されねばならないこと、もっとも被害を受けている者、あるいはもっとも利益の少ない者は、もっとも利益を得ている者からの支援が必要であること」を確認しています。

国際社会では、連帯という基本的価値にきわめて近い「第三世代の人権」概念をますます認知するようになってきています。第一世代とは政治的、市民的権利であり、第二世代とは、経済的、社会的、文化的権利を指します。約1800の市民団体がジュネーブに集い、「平和への権利」が、人権理事会によって、また、最終的には国連総会によって認知されるように求めていく連合を形成したのです。

平和への権利

「平和への権利」は曖昧な概念に過ぎないのではないかとの批判に応えて、カナダで平和活動を続けるダグラス・ローチ氏は、「(平和への権利は)国際レベルにおけるパラダイム・シフトの産物です。問題が単純に国ごとに解決できないようなグローバル化した世界に対処するには、国家と個人との関係だけを問題にする権利概念では不十分なのです。運輸や情報、金融、組織の巡りを世界的に円滑にしている構造そのものが同時に、武器商人や軍閥、狂信的宗教家、抑えの利かない政治的指導者、人身取引者、テロリストにも力を与えているのです。つまり、これまでの二世代の人権概念では対処できないような技術的限界があり、『平和への権利』は、近年の相互につながった世界の危険性に対処するための試みなのです。平和への権利は曖昧であり何も新しいものをもたらさないと非難するのは本質を欠く議論なのです。『平和への権利』は革新的なものであり、近年の相互につながった世界的課題全体に対処するためのものです。」と強調しています。

国際法や国際政治は、人権と平和との間の否定し得ない相関関係についてよく認識していますが、国連総会は、依然として、「平和への権利」を独自の権利として認めていません。にもかかわらず、私と考えを同じくする多くの人びとが、「平和への権利」に連帯の権利としての地位が与えられねばならないと考えています。

国際社会のつながりと存在そのものを守るだけではなく、集合的な目標を達成するために、国際的な連帯は、国際協力、利害の一致、共同行動を必要とします。このグローバルな目的を達成するためのすべての手段は、「平和への権利」によって共有されねばなりません。なぜなら、国際の平和と安全を維持するための協力は、この権利の履行にあたって必要とされているものだからです。「平和への権利」がひとたび新たな人権として確立されれば、「平和の文化」に対して堅固な基盤を提供することになるでしょう。また、「平和への権利」を承認することは、暴力との闘いや、武力・強制・ジェンダー差別を基礎にした態度との闘いに推進力を与えることになるでしょう。

平和の文化

私の友人であり先見の明をもって国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)を率いてきたフェデリコ・マヨール氏IPS理事長)は、「平和は、力によっては維持できない。それは、理解によってのみ達成される。」というアルベルト・アインシュタイン博士の言葉を想起しつつ、「もし、平和がすべての人びとにとっての権利であるのならば、平和の文化はすべての人びとの責任であることを今日理解しなくてはならない。」と述べています。これはなんと深く、適切な言葉なのでしょうか。

平和の推進は、「戦争がない状態」という受動的な意味合いのみで捉えるのではなく、「公正、ジェンダー、人種の平等や社会正義を実現するための条件が作り出されている」という能動的な意味合いからも理解される必要があります。人間から経済的、社会的、文化的権利を奪えば、社会的不正義や周縁化、際限なき搾取を招くことになります。つまり、社会経済的な不平等と暴力との間には相関関係があるのです。

したがって、社会の内外におけるあらゆる形態の暴力を減らすためには、発展への権利(Right to Development)を実現することが肝要となります。冷戦の終焉以来消えてしまっていた「平和への権利」の問題を国際的な課題として改めて取り戻さなければなりません。国連は、連帯や人権、国際協力、軍縮、平和を一体のものとして認め、真の意味で再度取り組むべきです。

21世紀の2度目の10年期に入る今、新しくよりよい未来を作り出すために過去からの教訓を本当に活かさねばなりません。私たちは、これまでに得た教訓として、過去の歴史を繰り返さないためにも、非暴力や寛容、民主主義といった価値をすべての老若男女に説いていかなければなりません。この点について、前国連事務総長でノーベル賞受賞者のコフィ・アナン氏は、次のように述べています。「長年にわたる経験から我々は以下の点を理解するに至りました。まず一つは、対立する集団を引き離すために国連平和維持軍を送り込むだけでは不十分だということ。2つ目は、社会が紛争によって荒廃した後で平和構築を試みても、それだけでは十分ではないということ。そして3つめは、予防外交を行うだけでも十分ではないということです。これらすべてが重要な任務ではありますが、私たちが望むのは一時的でない、永続的な成果なのです。つまり簡単に言えば、『平和の文化』こそが必要とされているものなのです。」

こうした目的をもって、国連は、1999年、「平和の文化に関する宣言と行動計画」の採択という画期的な決定を下しました。私は、規範を設定すべく作られたこの文書の採択に向けたコンセンサス作りのため9ヶ月に亘って交渉を率いる経験をさせて頂いたことを光栄に思っています。

平和は人間開発の前提条件です。そして、平和は、精神の平和がなければ達成されません。平和は、内なる平和と外部での平和がそろって初めて意味を持つものなのです。

私たちは、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という含蓄のある言葉がユネスコ憲章に盛り込まれていることを忘れてはなりません。平和の文化が繁栄することで、力から理性へ、紛争と暴力から対話と平和へと移行する前提条件となるような、ものの考え方が生まれるのです。

平和の文化を構築するのに今ほど適切な時はありません。これよりも重い社会的責任はなく、この地球において持続可能な基礎の上に平和を確保することほど重要な任務も他にはありません。多くの課題を抱えた今日の世界では、様々な事象が複雑に関係し合い、相互依存の度合いが深まっています。私たちは、こうした厳しい現実に直面して、互いに助け合っていく必要に迫られているのです。平和と和解に向けた世界的な努力は、信頼と対話、協力を基礎とした集合的なアプローチによってのみ成功することができるのです。そのために、社会の前向きな関与と参加を促しながら、私たちすべての間に「平和の文化」を作り出すような大連合を構築する必要があります。

今日、国際社会、とりわけ国連が「平和への権利」を承認する意義は極めて大きいと思います。なぜなら、私たち一人一人の心の中に、大いに必要とされている「平和の文化」を創造するインスピレーションを大いに刺激することになるからです。

今日の世界では、よりいっそう、「平和の文化」を、あらたな人間性の本質であり、内においてはひとつのものでありながら外部では多様性を有する新しい形のグローバル文明とみるべきです。

平和の種は私たちすべての中にあります。それを育て、世話し、促進して、花を咲かせねばなりません。平和は外部から押し付ければよいというものではなく、内から実現されるべきものなのです。

「平和の文化」を形作る主な基となるのは教育です。平和教育は、「平和の文化」を創り出す本質的な要素として、世界のあらゆるところ、あらゆる国や社会で、受け入れられる必要があります。今日の若者たちには、これまでと根本的に違った教育-すなわち、「戦争を賛美しない教育、平和や非暴力、国際協力のための教育」-を受ける権利があります。若者たちには、彼ら自身だけではなく、彼らの属する世界のためにも、平和を創り出し育てるためのスキルと知識が必要です。

すべての教育機関が、学生が責任を持ち生産的な世界市民になる準備をする機会を提供する必要があり、「平和の文化」を形作る教えを導入する必要があります。

世界が貧困や飢え、差別、排除、不寛容、憎しみから解き放たれたとき、そして、女性も男性もその最大限の潜在能力を発揮し、安全で満たされた生活を送れるとき、非暴力が真の意味で繁栄することを私たちは忘れてはなりません。

ここで私は、「平和の文化」に向けたダイナミックな前進の多くが、その着想と希望を、世界の人口の半分を構成する女性のヴィジョンと行動から得ていることを強く強調しておきたい。男女間の平等と、すべての意思決定における女性の平等な参加こそが、持続可能な平和の重要な前提条件なのです。

よく言われてきたことですが、「何世代にもわたって、女性は、家庭内において、そして社会において、平和教育家としての役割を果たしてきました。また女性たちが、壁ではなく橋を架けることに力を尽くしてきたことが証明されています。」つまり、女性が周縁化され、彼女らの平等が人間の活動のあらゆる領域において保証されないとき、「平和への権利」は価値あるものとはならないし、「平和の文化」が可能なものとはならないのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan

※アンワルル・チョウドリ大使は、元国連事務次長(後発開発途上国・内陸開発途上国・小島嶼開発途上国担当高等代表)。現在は、国連総会議長の上級特別顧問、IPS Japan顧問。この文章は、チョウドリ大使が2011年9月25日に「ニューヨーク倫理文化協会」の総会において行った講演録を基にしたものである。

 

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