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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER
|視点|大震災後、日本の勤労精神と倫理は再生するか?(高村正彦衆議院議員・元外務大臣)

Masahiko Komura/ Wikimedia Commons

【東京IDN=高村正彦】

 

東日本大震災からまもない、悲惨な爪痕が未だ至る所で感じられた時期に、米国のローレンス・サマーズ前米国家経済会議(NEC)委員長が「日本は今後、坂道を転がり落ちるように貧しい国になっていくであろう」とコメントしたと聞きました。

サマーズ氏がどのような根拠でそのような結論に至ったのか分かりませんが、私は、そんなことは絶対にないと思います。日本は必ず、再び昇る太陽のように、この惨事から復活すると確信しています。

66年前、日本は第二次世界大戦で敗北しました。約300万人の方々が亡くなり、主要都市はほとんど焼け野原になりました。当時私は子供でしたが、「日本は四等国になったんだ」という話を聞かされたことを覚えています。しかし世界中の多くの人々が「日本はもうだめだろう」と思った中で、日本は立ち上がって、立派に復興を成し遂げました。

|軍縮|核兵器なき世界には核実験禁止が不可欠

Wikimedia Commons

【東京IDN=浅霧勝浩】

 

国際社会にとって、「核実験に反対する国際デー」が制定されて2周年となる8月29日は、核兵器のない世界に向けたそれまでの進展を喜ぶとともに、目標が達成される前に依然として様々な障害が前途に横たわっている現実を再認識する機会となるだろう。

国連が指摘するとおり、「喜べる理由」とは、それまでに南半球のほぼ全域が、一連の地域条約により、既に一つの非核兵器地帯を形成しているという事実である。

これらの非核化条約は、ラトロンガ条約(南太平洋)、ペリンダバ条約(アフリカ大陸)、バンコク条約(東南アジア)、トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ地域)、アトランティック条約(南極)である。さらに2009年3月には、初めて対象の非核兵器地帯全体が赤道以北に位置する、「中央アジアに非核兵器地帯を創設するセメイ条約」(カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの五カ国が加盟)が発効している。

|軍縮|福島原発危機にあたって、広島を想起する(ラメシュ・ジャウラ国際協力評議会会長)

IDNベルリン/広島=ラメシュ・ジャウラ】

 

前代未聞のマグニチュード9.0の地震と津波に続いて起こった福島原発事故の映像は、2008年5月の私の初めての広島訪問と、2010年9月の2回目の訪問の記憶を呼び起こさずにはいられなかった。

広島平和記念公園
に穏やかにたたずむ像は、広島・長崎の悲劇を二度と起こしてはならないという人類の強い願いを象徴する多くの千羽鶴によって飾られていた。米国がはじめて核兵器を投下した両市では、約25万人が死亡した。皮肉ではないにしても婉曲的な言い回しで、米国はそれぞれの核兵器を「リトルボーイ」「ファットマン」と名づけた。

原爆の子の像」と銘打たれたその像は、65年前、原爆投下とそれに伴う無辜の若い身体を貫通した放射線の犠牲となった、佐々木禎子をはじめとする多くの子どもたちを記憶に留めるものだ。

国際原子力機関が核の「ならず者国家」を批判

 

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国際原子力機関(IAEA)は、7月27日、国連加盟国であるイラン・北朝鮮・シリアの3カ国について、核不拡散条約(NPT)の下での国際的義務に従うことを拒絶し続ける核の「ならず者国家」として名指した。

IAEA
の天野之弥事務局長は、3か国を直接名指しして、2009年12月の就任以来、核の検証に関する自身のアプローチは「きわめてわかりやすいもの」であったと語った。

「復興へ創造的応戦を」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

IPS コラム=池田大作】Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun

 

人間の心は、妙なる力を秘めている。それは、いかなる絶望からも、「希望」を生み出す力である。最悪の悲劇からさえも蘇生し、「価値」を創造する力である。3月11日に東日本を襲った大震災においても例外ではない。

大地震・大津波の発生後、世界中の方々から、ありとあらゆる形で励ましのお見舞い、真心あふれる救援、支援をいただいた。私たち日本人は、この恩義を決して忘れることなく、道は遠くとも、未来を見つめて、復興への歩みを断固として進めていきたい。それが、世界の皆様から寄せていただいた無量の善意への御恩返しと確信するからだ。

歴史家アーノルド・トインビー博士は、「挑戦と応戦」という法則を強調されていた。

「文明というものは、つぎつぎに間断なく襲いきたる挑戦に対応することに成功することによって誕生し、成長するものである」

今こそ「オープンガバメント」の推進を!-東日本大震災・被災者支援で必要な視点(谷本晴樹「政策空間」編集委員)

阪神淡路大震災があった1995年、後にこの年が「ボランティア元年」といわれたように、東日本大震災のあった本年は、いずれ「オープンガバメント元年」と振り返られる時がくるのではないだろうか。

今回の震災を契機として、「オープンガバメント」と呼ばれる、政府の情報公開と官民の新たな連携が、急速に進んでいる。この流れをより強固なものとし、さらに拡大していくことが、現在の支援活動をより効果的なものにするだろう。そして長引く避難生活での二次被害を防ぐことに繋がるはずである。そこで本稿では、この震災で登場した「オープンガバメント」の萌芽について紹介しつつ、これから乗り越えるべき課題について検討していきたい。

ウィキリークスからみる権力関係の更新可能性(塚越健司)

【政策空間=塚越健司】

 

2011年3月11日。日本を襲った大震災はその爪痕を深く残すと共に、先行き不安の影を日本全土に及ぼした。さらに、原発問題に端を発する放射能汚染の問題は、天災ではなく人災であるとの声が叫ばれ、東京電力と政府・大手マスコミとの癒着関係がネットを中心に批判されている。そんななか、リークサイト「ウィキリークス」は原発問題にかんする公電をリークするなど、精力的な活動をみせている。

本稿では、ウィキリークスの持つ「リーク」を「権力」の観点から考察することで、その思想的価値を追求したい。

原発にも触れるウィキリークスの外交公電

昨年世界中から注目を浴びたリークサイト「ウィキリークス」。2010年11月28日から段階的公開を開始した米外交公電事件は、日本における報道が下火になった現在でも、着々と公電を公開している。

講演動画「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」(石田尊昭:尾崎行雄記念財団事務局長)

先週土曜日(5月14日)、日本論語研究会のお招きにより、慶應大学で講演「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」を行ないました。
そこでは大変貴重な経験をさせて頂き、また有り難いご縁、出会いも頂きました。
同会の田村重信代表、高橋大輔さんをはじめ、主催者の皆様、そしてご参加頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。
同会のお取り計らいにより、早速、講演動画がアップされました。
当日ご参加頂いた方はもとより、一人でも多くの皆様に、「尾崎行雄と相馬雪香」について知って頂ければ幸いです。

テーマ:「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」(講師:石田尊昭)

|日独交流150周年|ドイツ、日本と映画の連携を強化

【ベルリンIDN=ユッタ・ヴォルフ】

 

日独交流150周年の今年、11月21日から26日にかけて開かれる映画祭「TOKYO FILMeX」で、ベルリンの姉妹都市である東京が日本ではじめて「タレント・キャンパス」を主催する。

TOKYO FILMeX」組織委員会が支援して、東京都、東京都歴史文化財団、「タレント・キャンパス東京」の三者が、東アジア・東南アジアから15人の若いディレクターやプロデューサーを招き、ワークショップや講義、著名な専門家や映画制作者らとのパネル討論などに参加してもらう。

2010年には、「ネクスト・マスターズ東京」というパイロットプログラムが成功を収めた。アジアの9つの国・地域から20人の若い映画制作者が集められた。Hou Hsiao-Hsien、アピチャッポン・ウィーラセタクン、黒沢清、Amos Gitai、さらにはイランからAbbas KiarostamiAmir Naderiなどが参加した。

|輸送と環境|若き企業家、輸送業界の明日を見つめる(佐久間恒好)

【東京IDN=浅霧勝浩】

「いかに文明が進んでも、人の心を機械的に動かすことは出来ません。」と佐久間恒好氏は自身の哲学的な所見を述べたうえで、「真心をこめて運ぶということは、同時に御客様のこころ(想い)を運ぶことであり、それが荷主様の期待にお応えすることと信じています。」と語った。

多才で先取の気概に富む佐久間氏は、しっかりと地に足をつけながら未来を見据えた若き企業家である。佐久間氏が経営する株式会社商運サービスは、東京都練馬区に本社を置き、従業員40名、保有車両台数38台の地元の優良企業で、一般貨物及び産業廃棄物輸送のほか、梱包・荷役、保管・物流管理、及び「野菜工場」を手掛けている。

佐久間氏は大学4年の時、父で創業者の勇が大病で倒れたことから、突然会社の運営を任されることとなった。しかし彼が実質的に経営者として手腕を発揮するには、まず「トラック野郎」という言葉に象徴される当時の雰囲気を改革するという難題を乗り越えなければならなかった。