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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER
|国連防災世界会議|災害対処からリスク予防へ

Sendai, Japan, hosts the Third UN World Conference on Disaster Risk Reduction (WCDRR). Credit: UN Photo【仙台IPS=ジャムシェッド・バルーア、浅霧勝浩】

 

仙台における重要な国際会議(=第3回国連防災世界会議)に先立って、国連国際防災戦略事務局(UNISDRマルガレータ・ワルストロム国連事務総長特別代表(防災担当)が、「災害対処から災害リスクへの対処へと移行する」必要性について「一般的な合意」があると語った。こうした理解の背景についてワストロム氏は、「もし国際社会が、貧困や気候変動、生態系の衰退、制御不能な都市化・土地利用といったリスクの根本にある原因に対応することに成功すれば、結果として地球はもっと強靭なものになるだろう。この枠組みによって、既存のリスクレベルを低減し、新たなリスクの発生を防ぐことに役立つだろう。」と語った。

今もなお続く核の脅威を照射する原爆忌

The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0【東京IPS=スベンドリニ・カクチ】

原爆投下から69年が経過したが、19万人にのぼる被爆者とその子孫の方々にとってあの日の記憶は今なお鮮明に残っている。あれから69年が経過したが、公式の謝罪は未だにない。あれから69年が経過したが―人類は依然として、核兵器による惨事が再び繰り返されかねない恐ろしい現実に直面している。

各国の要人が69回目の原爆忌を祈念するために日本に降り立つ中、広島市からのメッセージは、あらたな核攻撃が人類と地球に及ぼす甚大な脅威を真剣に考慮するよう諸政府に求める緊急のアピールであった。

核兵器非合法化を打ち出さなかった広島会合

ICAN【東京IDN=モンズルル・ハク】

非核12か国連合の2日間にわたる外相会合が日本の都市・広島で開催されたという事実だけでも、その象徴的な重要性を理解できるだろう。原爆による破壊の恐怖を目撃した世界初の都市である広島は、およそ70年前のその運命的な日以来、大量破壊兵器が引き起こしうる壊滅的な影響について学ぶ世界的な取り組みの先頭に立ち続け、核兵器を廃絶することの必要性を訴え続けてきた。4月11日から12日にかけて広島で会合を開くというこの象徴的な行為は、公式協議に移る前に閣僚たちが被爆者の証言に耳を傾けたことで、より重みのあるものになった。

娘が日本に運ぶケネディの平和の灯

Ambassador Caroline Kennedy/ US Department of State【東京IDN=浅霧勝浩】

キャロライン・ケネディ氏が1945年8月6日の米軍による史上初の原爆投下で14万人が犠牲になった広島市を叔父の故エドワード・ケネディ上院議員に同行して訪れたのは、若干20才の時であった。彼女は、駐日大使指名承認のための上院外交委員会公聴会で、広島平和記念資料館に立ち寄った1978年の被爆地訪問で深く心を動かされたと述べた。

ケネディ氏は11月12日の駐日大使就任前に日本国民に送ったビデオ・メッセージの中で、広島訪問で「よりよい平和な世界の実現に貢献したいと切に願うようになりました。」と語った。

50年前の11月にダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の唯一の存命する娘であるキャロライン・ケネディ氏は、駐日大使として東京に着任してからひと月もしないうちに、1945年8月9日に(広島に続いて)米国の原爆投下を受けた長崎市を訪問した。

|視点|「我々はスローモーションの核戦争を経験しつつある」(ロバート・ジェイコブズ広島市立大学准教授)

Robert A. Jacobs/ Academia edu【ベルリンIDN=ジュリオ・ゴドイ】

ロバート・ジェイコブズ氏(53)は、核攻撃により人類は絶滅の淵にあるとする誇大妄想が支配的だった冷戦の最中に生まれた。彼は小学生だった8才当時の自身を振り返って、「当時学校で、核攻撃をどう生き延びるかについて学びました。生き残るために大事なことは、核攻撃の最初の兆候を見逃さないように気を張っていることだと教わったのです。」と語った。

友人の間で「ボー」という愛称で呼ばれていたジェイコブズ少年は、45年後、放射能が家族と地域社会に及ぼす社会的・文化的帰結に関する世界的に著名な研究者の一人となった。歴史学の博士号を持つ(専門分野:核兵器の文化と戦争史、米国の冷戦史と文化、科学技術の文化史)「ボー」博士には、核問題に関する3冊の著作があり、同テーマで数多くの論文を書いている。彼はまた、広島市立大学の大学院国際学研究科および広島平和研究所の准教授および研究員でもある。

地球市民集会ナガサキ、核廃絶への具体的ステップを提案

核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会提供

 

【ベルリン/長崎IDN=ラメシュ・ジャウラ】

米国のロナルド・レーガン大統領(当時)と旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長(当時)とのあいだで行われた歴史的なレイキャビク・サミット以降、5万発以上の核兵器が廃棄された。両者の会談は1987年12月の中距離核戦力(INF)全廃条約につながった。しかし、依然として1万7300発の核兵器が存在し、それは、「長崎アピール2013」が指摘するように、人類の文明と地球上のほとんどの生命の生存そのものを何回でも危機にさらすことができるものである。

米国科学者連盟(FASは9か国による核兵器保有数を次のように推定している。米国(7700発)、ロシア(8500)、英国(225)、フランス(300)、中国(250)、イスラエル(80)、インド(90~110)、パキスタン(100~120)、北朝鮮(10)。

|視点|あるパレスチナ人の回想(平和・人権活動家マーゼン・クムスィーヤ)

Mazin Qumsiyeh/Pressenza

IDN/Pressenza広島=マーゼン・クムスィーヤ】

 

私とオリバー・ストーン監督は、8月6日に人類史上初めて核爆弾が投下された広島の地で講演をする機会がありました(講演内容は本原稿の下段に掲載しています)。また2日後の9日9日にも、第2の核爆弾が投下された長崎の地で話をすることになっています(注:原稿執筆時は8月7日:IPSJ)。

 

1945年に米国が行った広島・長崎両市への原爆投下は、今日に至る人類の歴史において、もっとも恐ろしい国家テロ行為です。私は、これまでにも恐怖で身震いするような(原爆被害の)写真や映像を見たことはありますが、実際に広島の被爆地を訪れて感じたものは全く異なった次元のものでした。私は、太陽が眩しく照りつける8月6日の午前8月15分、各地から平和記念公園に集ったさまざまな背景を持つ人々とともに、原爆ドームの横で3分間地面に身を横たえました。私たちは空を見つめて、68年前のこの時間に、頭上に投下された核爆弾が上空600メートルで実際に爆発した恐怖を、こみ上げる涙に震えながら想像しようと試みました。しかし、実際に人口密集地の住民の頭上に核兵器を投下し、一瞬にして数万人もの生身の人間を焼き尽くして骨だけにし、さらに数万人の肉体を焦がして皮膚をぼろきれのようにした恐怖を、いかにして想像することができるでしょうか。さらにそれ以上に想像しがたいのは、同じ人間に対してそのような悲惨をもたらす決定をした「人間の心の闇」に他なりません。

|UAE|日本企業5社がマスダールの学生に実務研修を提供

 

【アブダビWAM


アラブ首長国連邦(UAE)のマスダール科学技術大学院大学(MIST)は、日本の大手5社が、昨年に引き続き8週間にわたる日本での夏季実務研修をUAEの学生に提供する予定であると発表した。

 

実務研修プログラムは、日本国際協力センター(JICEが、経済産業省(METIの後援を得て実施している。

被災地支援の取り組み:一冊の会『雪香灯』プロジェクト

 Yukika Sohma/ Ozaki Yukio Memotiral Foundation

【東京IPS=浅霧勝浩】

 

今年1月26日、国会議事堂の向かい側にある憲政記念館(永田町1-1-1)で、ある女性の生誕100年を祝う集いが開催された。その女性とは、日本における「難民の母」「NGOのパイオニア」と呼ばれ、2008年に95歳で亡くなった相馬雪香(そうま・ゆきか)氏である。没後5年を経た今も、彼女の信念や生き方に励まされる者は多い。

 

相馬氏の父は、「憲政の神」「議会政治の父」と呼ばれた政治家・尾崎行雄(号は咢堂(がくどう):1858―1954)である。彼女自身は政治家にはならず、民間の立場で数々の平和・社会活動を展開した。「生誕100年を祝う集い」は、父・咢堂の名を冠した「咢堂塾」とその卒塾生団体「咢志会」が催したものである。そこでは、相馬氏の秘書を長年務め、彼女と共に「咢堂塾」を立ち上げた石田尊昭氏(尾崎行雄記念財団事務局長)による講演も行なわれた。

被災地支援の取り組み:一冊の会『雪香灯』プロジェクト

 Yukika Sohma/ Ozaki Yukio Memorial Foundation

【東京IPS=浅霧勝浩】

 

今年1月26日、国会議事堂の向かい側にある憲政記念館(永田町1-1-1)で、ある女性の生誕100年を祝う集いが開催された。その女性とは、日本における「難民の母」「NGOのパイオニア」と呼ばれ、2008年に95歳で亡くなった相馬雪香(そうま・ゆきか)氏である。没後5年を経た今も、彼女の信念や生き方に励まされる者は多い。

 

相馬氏の父は、「憲政の神」「議会政治の父」と呼ばれた政治家・尾崎行雄(号は咢堂(がくどう):1858―1954)である。彼女自身は政治家にはならず、民間の立場で数々の平和・社会活動を展開した。「生誕100年を祝う集い」は、父・咢堂の名を冠した「咢堂塾」とその卒塾生団体「咢志会」が催したものである。そこでは、相馬氏の秘書を長年務め、彼女と共に「咢堂塾」を立ち上げた石田尊昭氏(尾崎行雄記念財団事務局長)による講演も行なわれた。