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社会変化を引き起こす都市暴動

 

【シカゴIDN=キーアンガ=ヤマタ・テイラー】

 

ロンドンを初めとして英国中を席巻している都市暴動は、カイロからリスボン、サンチアゴからマディソンまでを覆っている世界的な蜂起の一部分であり、すでに弱められていた公的部門の最後の部分を破壊しようという新自由主義に対して立ち上がったものである。

ロンドンの蜂起は、公的部門縮減の悪影響が有色人種の若者にいかに不平等に降りかかってくるかを示している。あらゆる立場の政治家が暴動参加者を犯罪者呼ばわりし、メディアが略奪と混乱を描く中で問われなければならないことは、「なぜ彼らは自分たちのコミュニティを焼き打つのだろうか?」ということだ。

 
その問いに答えるには、1960年代のアメリカの都市暴動の歴史を振り返ってみる必要があるだろう。

1960年代半ば、多くのアフリカ系アメリカ人が、人種差別と警察の人権侵害に対して、全米で立ち上がった。当時なんらかの形でそうした抗議活動に参加した人数は50万人を超えると見られているが、この数値はベトナム戦争に従軍した米兵の総数(553,000人)とほぼ同じである。

デトロイト、タンパ、ヒューストン、シカゴ、フィラデルフィア、プラットヴィル(アラバマ州)という全く背景の異なる全米の諸都市で、蜂起に参加した人々は、米国の民主主義や社会全般に関する基本的な問題を提起した。

事実、こうした蜂起は一時的な不満の爆発に止まらず継続的な現象として全米各地に広がりを見せたことから、ついには連邦政府も政策の転換を余儀なくさせられたのである。その結果、従来は周辺的な政治課題だった都市問題(住宅不足、警察の横暴、教育、失業問題等)を、当時のリンドン・ジョンソン大統領が「国家のもっとも緊急な課題」と位置づけるようになった。

従って、議論の余地はあるが、1960年代の都市暴動は同年代で最も重要な政治イベントとなった。60年代の初めにはわずか6億ドルだった住宅・都市関連予算は、その終わりには30億ドルにまで膨らんだ。住宅・都市開発省も設置された。

このような成果にもかかわらず、現在も依然として、民衆蜂起の経験は否定的なものとして描かれることが少なくない。

たとえば、『デトロイト・フリー・プレス』紙に対する2007年のある投書はこう書いている。

「1967年の長く暑い夏から40年がたった。しかし、その1週間の影響は依然として残っている。すでに始まっていた白人の逃避の流れは洪水のごとくになり、デトロイトは全米でもっとも人種隔離的な都市になってしまった。家々や事務所が焼き打たれたという事実が、暴動の経験として人々の頭の中に残っている。今日、それらの建物のほとんどが壊された。しかし、土地は依然として空き地のままである。」

今日の貧困状況は直接的に60年代の出来事に結び付けられ、都市の衰退を招いた本当の理由(その後40年間の公共政策の貧しさ)は無視されている。

さらに言えば、こうした認識のあり方は、同じく60年代に起こった公民権運動が非暴力的で統制の取れたものであったとの見方と対を成している。

多くの人びとは、「60年代の都市暴動はよいものか、悪いものか」という認識パターンにとらわれているようだ。しかし、それは、民衆蜂起が当時の政治的言説に与えたダイナミズムを低く見るものだ。アフリカ系アメリカ人たちの蜂起は、長らく「見えないもの」とされてきた彼らによる、政治的討議の場への「強引な入場」といえるだろう。

そこで今の英国に戻ってみる。この国において、最後に人種主義や貧困が語られたのはいつのことだろうか。ロンドン暴動の後、この種の議論が世界中で巻き起こることになった。数週間前なら考えられなかったことだ。

もちろん、暴動は長続きしない。アドレナリンは消え、いつかは国家の政治の中に回収されていく。立ち上がった者たちの生活に本当の変化をもたらすためにさらに必要とされているのは、戦略と政治、そして組織化である。(原文へ

※キーアンガ=ヤマタ・テイラーは、『国際社会主義者レビュー』誌の編集委員。

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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