www.facebook.com
www.twitter.com
www.linkedin.com
www.blogger.com
www.myspace.com
RSS Feeds
 
INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

エリトリアからリビアを通過して欧州に旅する危険

Photo: The Italian Coast Guard rescues migrants bound for Italy. Credit: IOM | Francesco Malavolta【ニューヨーク/ニアメIDN-INPS=フランク・クオヌ/ルイス・ドナヴァン】

ニジェールの難民収容所にひとり、後悔にうなだれながら座り込んでいる若い男性がいる。「私は必ずしもこんなに遠くまで来たかったわけではありません。ハルツームに留まっていてもよかったかもしれない。」と顔に苦悶の表情を浮かべながら語った。

どうしてこんな未知の土地まで逃避行を重ねてしまったのだろう、とこの男性は自分に問いかけていた。彼は砂漠を横切る危険な旅を生き延びたが、そのために酷い代償を払わされることになった。彼は、慕っていた兄と母国のエリトリアを脱出したあと、一旦は、スーダンの首都ハルツームに短期間落ち着いたが、さらに欧州を目指して旅を続けることとなり、先発した兄は砂漠で命を落としてしまったのだ。

 SDGs No. 16「私もハルツームを離れることにしたのです。」とテクレさん(仮名:36歳)は、先の見通しが全く立たず絶望していた当時の心情を吐露した。

「ハルツーム警察の私たち移民に対する扱いは酷いものでした。私たちには何の権利も認められないのです。」と、テクレさんは当時の辛い状況を語った。そこでテクレさんは、ハルツームにそのまま留まるのではなく、チャンスにあふれるヨーロッパに辿りつく運命にあるのだと考えるようになり、旅を続けることにした。

「私はもう子供ではありませんでしたから、旅の目的はお金ではありませんでした。ただただ平和な人生が送れるところに行きたかったのです。」とテクレさんは語った。彼は、サハラ砂漠を横断して欧州に逃れようとして途中リビアで囚われの身となった多数の難民や移民のうちの一人である。

国際移住機関(IOM)の推計によると、現在リビア国内で足止めを食らっている移民の数は、70万人から100万人とみられている。そのうち、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、これまでに55,000人以上を登録している。

IOMUNHCRやIOMのような人道支援団体が全ての難民収容施設へのアクセスを確保できているわけではないことから、収容所のなかには、密入国業者や民兵組織が運営するものもあり、国際的な保護を必要としている難民の実数は、国連の推計よりもずっと多い可能性がある。

「ハルツームからリビアに旅をするには密入国業者を頼るしか選択肢がありませんでした。」とテクレさんは思い出していた。移民たちはリビアに到着すると、一棟当たり1300人から1400人収容できる大きな倉庫に収容された。砂漠を超える困難な旅を通じて移民たちは絆を形成する。「旅の途中で出会った人々は…家族になるのです。もし私が脱落しそうになれば、誰かが助けてくれる。移民の間には、友達以上の、いわば家族のような絆が生まれるのです。」とテクレさんは語った。

多くの移民にとって旅は致命的なものだった

AP通信は2018年6月、IOMの統計を引用して、2014年以来、推計約30000人が砂漠で行方不明になっていると報じた。UNHCRは、(アフリカ大陸から欧州に渡る途上の)地中海で遭難して命を失う移民1人に対して、少なくとも2人以上の移民が砂漠で落命している可能性があると推計している。

砂漠で落命した移民の大半は、砂漠の焼け付くような太陽光による脱水で倒れたと考えられている。遺体の中には、強力な砂塵や砂嵐に覆われて、痕跡が分からなくなってしまうものもある。

 Eritreans fleeing the country first have to risk their lives crossing the border, whose guards are authorised to shoot on sight.  Credit: Gan-Shmuel archiveテクレさんの兄もそうした犠牲者の一人だった。彼はリビアを目指してスーダンを一足先に出発していた。テクレさんは兄が辿ったサハラ砂漠越えのルートを追って移動したが、のちに兄はサハラ砂漠で2週間を費やした末に、一緒に旅をしていた4人の仲間とともに水不足で死亡していたことを知った。「私はこの兄と一緒に育ちました。大好きな兄でした。」と、テクレさんは語った。

身内を失い一人旅となったテクレさんだが、途中旅で出会った女性たちのたくましさが印象に残っている。「彼女たちは、大変な中でも私たちの面倒をみてくれました。」とテクレさんは語った。

しかし女性達は、夜になると酒や麻薬を煽った状態で迫ってくる密入国業者を前に無防備な状態に置かれていた。「彼らは夜な夜な女性たちを引きずり出していきました。その光景は見るに堪えませんでした。自分の家族に同じことが起こっていると思うと、いたたまれませんでした。彼女達に対する仕打ちはますます悪化し、(彼女たちの)悲鳴が聞こえてきました。」

テクレさんは、彼女たちに対する酷い仕打ちに抗議したことで密入国業者に激しく殴打されたが、自分の命が惜しいとは思わなかった、と語った。「私たちの文化では、決して人を見捨てたりしない。できるだけのことをして助けようとするものなのです。彼らが女性たちにした(強姦を含む)酷い仕打ちを思い出すと心が痛みます。…今でもその時の光景を口にはできません…とても心が痛くなるのです。」

Photo: IOM transit centres in Niger. Credit: IOM | Amanda Nero 2016テクレさんと他の移民の一行は、5か月にわたってリビア国内の密輸業者が運営する収容所を転々としたのち、やっと正規の収容所に辿りついた。ここでUNHCR職員の訪問を受けることができ、今年の初めに国連が手配した人道救援のための航空機でリビアを出国することができた。

テクレさんは現在、ニジェールの首都ニアメに、UNHCRが2017年11月以降に救援した1675名の難民・亡命希望者の一人として暮らしている。テクレさんは、この施設で住居、法的保護、食糧、医療支援、精神カウンセリングを受けながら、定住先が決まるのを待っている。

Map of North Africa/ Google Earth「私も年を取り、もう一度同じ経験をやりとおすことはできないと思います。そのようなスタミナは残っていません。」「私の姉は私よりも先にエリトリアを離れてリビアを目指しました。弟は私より後に出国しましたがサハラ砂漠で落命しました。私にはもう一人、弟がいますが、今なおエリトリアで兵役に就いています。」

「この弟はもう成人ですから、たとえ私が砂漠を超えて欧州を目指す旅はやめるようアドバイスしても、耳を貸してくれないでしょう。誰もが自身の人生をいちかばちか運命に委ねるものですから、いつか彼が砂漠を横切る旅に運命を託するような決断をするのではないかと、心配でなりません。」とテクレ氏は語った。(原文へ

INPS Japan

関連記事:

13000人のアフリカ人がサハラ砂漠に置き去りにされている

|世界人権宣言70周年|国際会議、人権教育の主流化を呼びかけ

移民に関する神話に覆い隠される現実(ロベルト・サビオINPS評議員、Other News代表)(前編)