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│リビア│新しい旗の下でもつづく昔のやり方

he scars of war in Tripoli's Abu Salim district. Credit: Karlos Zurutuza/IPS.

【トリポリIPS=カルロス・ズルトゥザ】

 

「もし四輪駆動車なんて運転していたら、カダフィ派かって言われるだろうね。今では、反乱勢力の司令官クラスなら、ほとんどが四輪駆動車を持っているよ。」と、トリポリの交通渋滞から抜け出てきたバシャールは語った。

首都のトリポリが8月に反乱勢力の手に落ちて以来、バシャールは、ボロボロになったタクシーの窓から、街の変化を見てきた。30才のバシャールは、大半のリビア国民と同様に、生まれてこの方、故ムアマール・カダフィ氏による独裁政治以外の政体を知らない。

 
しかしバシャールは、新しい政府に満足しているわけではない。「これが、反乱勢力がもたらすと言ってきた自由と平和なのだろうか?」と、武装勢力の設置した検問所を通りながらバシャール氏は語った。作り笑顔と、バックミラーにかけられた三色旗は、彼のタクシーを営業する政治的な免許証のようなものだ(新政権は、それまでの緑一色に代わって三色の国旗を採用している:IPSJ)。

「ムアマール、ムアマール」バシャールは、バーブ・アジジヤ地区のカダフィ最高指導者の破壊された邸宅跡を見て、切なさそうに声を上げた。リビア内戦が残した傷跡は、トリポリ市街地の「殉教者広場」から南へ3キロの郊外にあるアブ・サリム地区においても生々しく見てとれた。火災で黒くくすんだ窓枠の周りは大小あらゆる大きさの銃痕が壁一面を埋め尽くしており、攻撃の凄まじさを想起させるものだったが、驚いたことに、そうした廃墟と化した家々の窓から、時折洗濯物が干されている光景を目にした。

古いバザール地区の人々も元の生活に戻ろうと必死だ。しかし、北大西洋条約機構軍(NATOの空爆がこの地区を灰燼に帰してからは、この露天街の店はほとんど再開されていない。

「人びとはここから離れていっています。ここの住民はみんな、武装勢力のパトロールを怖がっているのです。カダフィ派を探すという名目で家々に侵入し、若い人たちをどこかへ連行しているのです。」と台所用品と中古の蛇口を商っているアブドゥル・ラフマン氏は語った。
 
内戦の終結は、カダフィ氏が殺害されて3日後の10月24日に公式に宣言された。しかし、アブ・サリム地区では11月にも武装勢力とカダフィ派と言われている勢力との衝突が見られた。また、カダフィ側の2番目の拠点であったバニ・ワリド地区においても先月に武力衝突があり死傷者が出たとの報道がされている。

しかし、こうした衝突にカダフィ派の民兵による組織だった関与が実際にあったのか、それとも、武装勢力による度重なる襲撃と恣意的な逮捕に反発した地域住民による衝動的な抵抗だったのかは定かではない。

国連は先月、「革命部隊」と称する武装民兵組織が管理する収容所に7000人が収監されていると明らかにした。潘基文国連事務総長は、カダフィ氏死亡後のリビア復興支援に関する国連安保理会合に先立って声明をだし、「報告によれば、収監されている人々の中には外国人や多くの女性・子供が含まれており、中には拷問を受けたものもいます。」と語った。

アブ・サリム地区出身で電化製品の小売業を営んでいたビラルも、多くの住民とともに、ジェディダ刑務所(トリポリの主要な収監施設)に連行されたひとりだ。彼も取材に応じた多くの人々と同じく、フルネームを明かしたがらなかった。ビラルは、突然連行されてから何の説明もなく釈放されるまで過ごした地獄のような数週間は、決して忘れることはないだろうと語った。

「やつらは、俺がカダフィ派の兵士で、ソク・アル・ジマ地区(トリポリ東部)で、女性1人とその子どもを2人殺したって言うんだ。刑務所では来る日も来る日も、電極や火のついたタバコで拷問された。やつらはいつも、俺の犯罪を証明する目撃者がいる。早く白状したほうが身のためだぞと脅してきたんだ。」「そしてある日、独房の奥の壁を背にして立てと言われたんだ。誰かがドアの穴から覗いているのが分かった。そして数時間後、突然、荷物をまとめて出ていくように言われたんだ。」とビラルは語った。彼は、アブ・サリム地区に戻るつもりはないと語った。

ビラルのような証言は、トリポリ以外のリビア各地でも多く耳にした。トリポリから東に150キロのマジェール村は、8月8日にNATOが空爆を加えたことで注目を浴びた。当時カダフィ政権のムサ・イブラヒム報道官は、85人の民間人が殺害されたを発表した。これに対してNATOは「犠牲者はカダフィ派の軍人と民兵である」と反論した。

この際殺害された村人の遺族達は、IPSの取材に対して、「当時35人を埋葬しました。」と語った。今日、遺族達は失った愛する人々を悼む悲しみと、(この旧カダフィ派の拠点とされた街を)縦横に行き来する武装勢力に対する不安と恐怖で、打ちのめされている。

マジェール村に住むメルワンは、私たちが彼の家に入るのを誰も見ていないことを確かめたうえで、「私たちはリビア国民としての権利を無視され、遺族の補償も受けられない、いわば新政権にとってのスケープゴートにされているのです。武装勢力は、私たちの財産を略奪し、車を盗んだうえに、そうした罪を私たちに押し付けてくるのです。」と語った。

再びトリポリに戻った私は、カダフィ政権下で建設業や貿易業で財を成した実業家のスレイマン(40歳)を取材した。彼は3年前に購入した四輪駆動車に今も乗っている。

トリポリの高級ショッピング街ガルガレッシュ通りの最新流行のカフェで取材に応じたスレイマンは、「もちろん、カダフィのときも不正はあったさ。でも、それが他の中東の国よりひどいとか、ましてや、ヨーロッパ側の地中海諸国よりもひどいとは思わないね。」と語った。この辺りに駐車している車では、三色旗を誇らしげに掲げているものは少数だった。

またスレイマンは、「死のその日までカダフィ大佐を信奉していた。」と認めたうえで、「だから、わざわざ三色旗を掲げようとは思わないのさ。」と語った。彼は首都圏にいくつかのアパートを所有している。これは不安定な戦後経済を乗りきっていくためには必要な保険である。

この成功を収めたビジネスマンは、明日がどのような状況になろうと、このところの暴力的な変化についてもあまり気にしていないようである。「われわれビジネスマンは、いつでもジャングルの中で生き延びてきたんだ。ちなみに、新しい政権の私のコンタクト先は、前のやつと同じ人物だよ。」とスレイマンは語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩


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