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|アルゼンチン|30年後に明らかになった一般兵士への虐待の実態

【ブエノスアイレスIPS=マルセラ・ヴァレンテ】

1982年のフォークランド(マルビナス)諸島戦争から30年が経過したが、当時従軍した元アルゼンチン兵士たちが、司法の場で最後の闘いを挑んでいる――彼らは当時上官から受けた残虐な扱いを人道に対する罪として認めるよう、アルゼンチン最高裁に訴えているのである。

「私たちは軍事独裁時代(1976年~83年)の最後の犠牲者です。」と、ブエノスアイレス州の州都ラプラタに本拠を置く「マルビナス戦争元従軍兵士の会」会員のエルネスト・アルフォンソ氏はIPSの取材に応じて語った。

1982年4月2日、アルゼンチンのレオポルド・ガルチェリ政権(右下写真)は、同国の東方480キロの南大西洋に位置するフォークランド(マルビナス)諸島(1833年以来英国が実効支配)に突如侵攻した。

その後74日間に亘って繰り広げられた英国アルゼンチン間の戦争は同年6月14日のアルゼンチン軍降伏で幕を閉じたが、その間にアルゼンチン兵士635名、英国兵士255名が命を落とした。

 
しかしアルゼンチン側の犠牲者は英国兵との直接的な戦闘によるものだけではなく、当時の自軍の上官による様々な虐待(凍てつく水に体を沈める体罰、性的虐待等)をはじめ、飢餓や低体温症(当時戦地では気温は氷点下10度まで下がった)によって命を奪われた兵士が多数いたという証言が後を絶たない。

「長年、アルゼンチン軍内の虐待殺人について語ることはタブーでした。しかし、少しずつ真実が語られるようになりました。」とアルフォンソ氏は語った。

アルフォンソ氏は、「私たちに起こったことは軍事独裁体制下における出来事です。つまり、(反体制派と見做された人々やその家族約3万人を粛清した「汚い戦争」)を遂行した軍人達と同じ人々が引き起こした事件なのです。」と語った。

現在、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル政権の下で「汚い戦争」で当時犠牲者の拉致、拷問、強制失踪等に関与した軍人達が裁判にかけられている中、アルフォンソ氏もアルゼンチン最高裁がこのフォークランド(マルビナス)諸島で行われた人権侵害について、犯人に有罪判決を下すのではないかと期待している。

マルビナス戦争元従軍兵士達が最初に訴訟をおこしたのは2007年のことである。第一審裁判所は、当時の虐待は人道に対する罪に相当すると認め、従っていかなる出訴期限法も該当しない(=時効はない)との判断を下した。

その後、1審の判決は第二審でも支持されたが、被告側が破棄裁判所(Cámara de Casación Penal)に訴え出た結果、同裁判所は2009年に、「戦争中の犯罪は軍事法廷で裁かれるべきであり、出訴期限法の適用期限は過ぎている。」との判決を下した。

そうした中、フォークランド(マルビナス)諸島戦争30年を目前に控えて、120人の元従軍兵士が最高裁判所の判断を求める訴訟をおこし、受理された。

原告は、もし裁判所が本件を人道に対する罪と認めて出訴期限法が適用されないとの判断を下せば、従来沈黙を守ってきたもっと多くの元従軍兵士達が補償を求めて訴訟に踏み切るだろうと語った。

こうした元従軍兵士による訴訟行動は、人権団体やノーベル平和賞受賞者、アドルフォ・ペレス・エスキベル(ブエノスアイレス州議会が1999年に設立した独立組織「Provincial Commission for Memory」代表)氏の支持を得ている。

今回の訴訟では約80名のアルゼンチン軍士官・下士官が、フォークランド(マルビナス)諸島戦争期間中に同島において自軍の兵士(ほとんどが徴兵され強制的に軍務についていた青年達)に対して拷問その他の犯罪行為を行ったとして訴えられている。

訴えられている人物の中には、独裁軍事政権下で行われた「汚い戦争」への関与が疑われて有罪が確定し、既に収監されたものもいるが、依然とした大半はフォークランド(マルビナス)諸島戦争に従軍した現役或いは退役軍人として、国から恩給を支給されている。
 
「独裁軍事政権は、1982年4月2日に(国民に対して仕掛けた「汚い戦争」の実態と経済政策の失態から国民の目を逸らすために仕掛けた)英国との戦争を開始しても、戦地において一般従軍兵士に対する拷問を継続しました。」と元従軍兵士で原告の一人であるパブロ・ベネデッティ氏は語った。

ベネデッティ氏は当時19歳。徴兵後2カ月にも満たない軍事訓練を経て、マルビナス諸島に送り込まれた。戦地では、地雷の敷設作業を命じられ、食料不足と極寒状況にも関わらず、塹壕で寝泊まりすることを強いられた。

ベネデッティ氏の当時の上官はロメロ軍曹で、しばしばベネデッティ氏に過酷な体罰を加えた。軍曹がしばしばベネデッティ氏に凍てつく水の中に体を沈めるよう命じ、水から出た後も着替えを禁じた。当時マルビナス諸島では、気温が氷点下10度まで冷え込むこともあった。

ベネデッティ氏によれば、またあるとき、ロメロ軍曹は彼の頭に銃を突きつけ引き金を引いて(弾は入っていなかった)怖がらせたという。またロメロ軍曹は、「伏せろ!」と号令をかけては、懲罰として彼に地雷原の傍で蛙飛びをさせたこともしばしばあったという。

「私の両足は膨れ上がって歩くことが出来なくなりました。結局、軍医のところに運ばれ手当てを受けることになりました。軍医はロメロ軍曹が立ち会う中、私に向かって『薬を飲むように。そして二度と、冷たい水の中に入ったり、濡れた服を着たまま過ごさないように。』と忠告したのです。」

「しかし塹壕に戻るとロメロ軍曹は、『俺が直してやる。』と言って、薬を投げ捨て、再び私を凍てつく水の中に突き落としたのです。」

6月までに、ベネデッティ氏はマルビナス島の病院に収容され、まもなくアルゼンチン本国の病院に移送された。彼の足は激しく膨れ上がり、病院に運び込まれた時にはブーツを切らなければならなかった。ベネデッティ氏の足の状態は、一歩間違えれば切断せざるを得ないほど悪化していたのである。

ベネデッティ氏はブエノスアイレス州のプエルト・ベルグラノの病院に収容されたが、家族へ自分の居場所や状態について知らせることは固く禁じられた。

「今は戦争中だから(家族に)連絡をとってはならない。」と上官はベネデッティ氏に命じた。しかしベネデッティ氏はなんとか車椅子を手に入れ、トイレに行くふりをしてナースステーションに駆け込み、そこから両親に連絡を入れた。両親は翌日病院に駆けつけてきた。

結局ベネデッティ氏は20日の入院生活を経て両親の元に戻ったが、戦後数年に亘って深刻な身体的な後遺症と精神的なトラウマに苦しんだ。当時政府による援助は一切なく、両親は変わり果てて帰ってきた息子の看病に追われた。今日ベネデッティ氏は49歳になるが、今でも両足に負った傷の後遺症に苦しんでおり、薬を飲み続けている。

ベネデッティ氏は、最高裁は彼らの訴えを取り上げて当時の人権侵害についての審理に入るものと確信している。「当時私たちにひどい仕打ちをした士官たちが降格され、軍人としての特別待遇や、名誉、年金を取り上げられることを望んでいます。そして何よりも彼らが犯した罪を償うために刑務所に収監されることを望みます。」とベネデッティ氏は語った。

もう一人の原告シルヴィオ・カッツ氏は、数年前になって、ようやくマルビナス諸島でかつて兵士として経験した虐待と屈辱についてメディアに話す決心をした。カッツ氏の場合、ユダヤ人であることから、特に過酷な虐待に晒された。

カッツ氏は、「ユダヤ人の野郎、裏切り者」など上官から様々な侮辱的な言葉を浴びせかけられた。彼は他の徴集兵とともに凍てつく水の中に無理やり手を入れたままにする虐待に晒されたが、彼の場合(ユダヤ人なので)、同時に顔も水に突っ込むよう強制された。

またカッツ氏は、一度だけ凍りついた大地に下着とTシャツ姿のまま杭で縛り付けられ、上官の命令で強制された同僚の兵士たちに放尿されたこともある。「彼らは私に排泄物を食べるよう強制しました。この屈辱は決して忘れません。」とカッツ氏は語った。

終戦後カッツ氏はまもなく復員したが、帰国後まもなくして自分を拷問した下士官エドワルド・フローレス・アルドイノを偶然街の通りで見かけ、恐怖で思わす失禁したという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩