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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

|HIV/AIDS|中国|河南省のエイズ孤児、重い口を開く

【北京IPS=アントアネタ・ベズロヴァ】

 

中国河南省で、政府の売血プログラムに協力した多くの貧しい住民がHIV感染をしたというスキャンダルが2001年に明るみにでて以来、中国政府は、ゆっくりではあるが、表面化しつつあるエイズ危機に対して、従来の独善的かつ時には攻撃的であった姿勢を改めつつある。

2003年12月、中国政府が国内におけるHIV感染に関して問題を公表した際、保健問題の専門家たちはエイズ問題に対する中国政府の方針転換に拍手喝采を送った。中国の指導者層はHIV/AIDSをもはや外国の問題とは見なしていないし、国内で深刻化しつつある現状を隠そうとはしていない。温家宝総理が昨年「エイズは国家を破壊しかねない」と警告したように、今や中国政府はエイズ問題と正面から取り組む覚悟をしている。

その中国において河南省の数千にのぼるエイズ孤児の状況ほど、エイズ問題の深刻な未来を示唆しているものはないだろう。中国において、彼らは2重のハンディを負っている:孤児であることと、エイズで死亡した人々の元に生まれたことである。彼らは両親不在の中、親の愛情や世話、教育を受けることなく生きていかなければならない。

 
生活のために売血して(エイズ感染し死亡した)両親に残された孤児の話は、かつては隠蔽・検閲の対象とされたが、今日では徐々に知れ渡るようになり、地元官僚はスキャンダルの発覚に言葉を失っている。話の一部は河南省のソーシャルワーカーが集めたものが伝えられた。また一部は、2003年に中国における対エイズ活動が評価されてマグサイサイ賞を受賞したガオ・ヤオジェ博士が近く出版予定の河南省のエイズ感染を取り扱った本に掲載される予定である。


「私はシンカイ郡ドンフー村生まれのウェンです」。近親者の死亡日を克明に綴った日記の主である17歳の少女は記している。「2000年8月。私の両親は売血したことが原因でエイズを発症。私の家族は貧しく、両親は医者に診てもらうためのお金が必要でした。私は当時中学2年生だったけど、両親の看護と家事をするために学校を辞めなければなりませんでした」

「2000年12月、母他界


「2001年8月19日、父他界。家には11歳の弟と私が後に残されました。両親が残してくれたものは約500グラムの小麦粉、僅かな現金、雄牛1頭と豚1匹だけです。でもそれらは叔父さんが持ち去ってしまいました。弟と私はお腹を空かして、3つのがらんとした部屋を見つめるしかありませんでした。私は時々、両親が私たち兄弟のために食事を作ってくれる夢を見たのを覚えています。でも目を覚ますと、目の前にあるのは空っぽの粘土屋根と風と雨の音だけでした」

ウェンの両親は、他の多くの農民と同様、1990年代に政府の採血所で売血をしたことが原因で感染した。多数の提供者が同じ採血装置に繋がれたことから、感染者ウィルスが装置を介して多くの提供者の体内に広がっていった。

当時財政難に悩む河南省の役人たちは、医療費を捻出する手段として血液の売買に飛びついた。そして一旦血液ビジネスに手を染めると、血液の売買が禁止された後も、豊富な収入源を手放そうとはしなかった。

エイズ感染で大きな被害を蒙った河南省で15年に亘って活動してきたガオ氏の推計によると、河南省の58郡において平均2万人が売血をしていた。この推計に基づけば、河南省だけで100万人の農民が社会的にタブーとされている売血により感染したことになる。ソーシャルワーカーの証言によると、河南省のある郡では、必要な治療費が捻出できず村全体の大人が死の床にあった。

「皆、大変苦しみながらも、次から次に亡くなっていく」と3年前からエイズが蔓延した河南省の村を訪問しているソーシャルワーカーのチュン・トーは言う。「エイズ感染者がより人間らしく尊厳を持って死ぬのを手助けするのには、あまりにも時間がなさすぎる。しかし(残された)孤児たちに出来ることは沢山ある」と、チュンはIPSに語った。

香港に拠点を持つチュン・トーのNGO「チー・ヘン財団」は、現地当局の警戒をかわして現地でエイズ孤児の就学支援を開始することができた数少ない団体である。「郡によっては支援を拒否されたところもあります」と、チュン・トーは振り返る。「しかし、どこにいっても私たちの活動は『火消し作業』に過ぎないという点を強調することにしています」「私たちは放火犯(エイズ蔓延の責任者)を探そうとしているのではなく、火を消そうとしているのです」

3年前、チー・ヘン財団は400人の孤児の教育費を支援するプログラムを開始した。今日、支援対象者は2000人に増加し、最も若年者で5~6歳、最年長者で大学進学の準備をしている。

ハーバード大学を卒業して香港で金融業を営んでいたチュン・トーは、自らの貯蓄を使ってこのプログラムを始めた。中国での義務教育は9年、子供たちが学校に留まるために必要なものは、教科書代と様々な雑費である。一学期に必要な学費は僅か300元(36米ドル)だが、その金額は、日々の糧でさえ親戚に依存せざるをえない孤児たちにとっては、手の届かない額である。

さらに河南省は中国でも最も貧しい地域であり、大躍進(※1958年に毛沢東が発動した急進的増産運動、2000万人以上の餓死者が出たといわれる= IPS Japan)に続いた数年に亘る飢饉で、100万人の農民がこの静かな僻地で餓死した。今日においてさえ、農民の多くは土壁の家に住み、年に約300米ドル程度の収入での生活を余儀なくされている。

「子供たちが義務教育の9年間を通して学校に通えるように支援するためには3000元(362米ドル)が必要です」とチュン・トーは言う。


彼は当初、なんとか元同僚や米国の慈善団体から資金を集めたが、今日では財政難のため、途中で孤児達への支援を諦めなければならないかもしれない事態を恐れている。「私の夢は、孤児達1人ひとりのためにトラストファンドを設立することです。でも今は、一学期ごとに、資金集めに奔走しているのが現実です」と打ち明ける。

ガオによる河南省のHIV/AIDS患者数から推計して、同省全体でのエイズ孤児数は100万人近いと思われる。公式統計では、河南省でHIV/AIDS患者と確認されたものは僅か3万5000人であるが、そのうち900人は既に死亡している。一般に保守的と考えられている同公式統計を当てはめたとしても、エイズ災禍の影響を受けた子供の数は4万人から8万人にのぼる。


幸い残された孤児達で自身がHIV感染しているものは大変少ない。しかし感染した子供は、学校をドロップアウトしていった。また、多くがいじめの対象にされ、中には自殺したものも数十人にのぼる。


常日頃から「子供は国家の輝かしい未来」と子供重視の姿勢を表明してきた中国共産党政府にとって、エイズ惨禍に見舞われた子供達の話は、内政の不安材料となっている。政府は、このエイズの流行を放置しておけば遠隔地における大規模な抗議行動へと発展する引き金になりかねず、将来的には深刻な社会問題を引起しかねない、と次第に警戒感を抱くようになった。

昨年、政府は河南省において、エイズ孤児となった子供達を対象に寄宿舎学校を建設し、無料で教育を提供する大規模な施策を実施した。その結果、河南省全体で「太陽の家」と名づけられた学校が22校建設された。しかし、その多くが子供達不在のままとなっている。

「子供たちは、その施設では孤立しているように感じるのです」とチュン・トーは言う。「なぜなら河南省の者なら誰でも『太陽の家』に住むこと=その子供の両親はエイズで失くなった、ということを知っているからです」(原文へ)  

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩