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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

|小売と環境|小売から世界の環境保護活動へ(イオン環境財団)

 

【東京IDN=浅霧勝浩】

 

彼らの緑化活動は国内外に及ぶ。中国・万里の長城で、青島ラオ山ダム周辺で、タイ南部で、クアラルンプール郊外で、世界遺産アンコールワットの周辺で、そしてケニアで、植樹を行ってきた。

世界中で920万本の植樹を行ってきたイオン環境財団のことである。2010年4月には、万里の長城での植樹が100万本に達した。

活動に積極的に参加してきた一人が、海部俊樹元首相である。海部氏は中国から深い信頼を勝ち得ており、人気もある。イオン環境財団と中国との橋渡し役を務めてきた。

財団は、2010年10月に名古屋で開かれる国連生物多様性会議において、地球上の豊かで貴重な生物多様性を守った者に対して、「生物多様性ミドリ賞」を贈呈する予定だ。日本語の「ミドリ」は緑を意味し、木々や植物を連想させる。

名古屋の会議は、正式には、生物多様性条約第10回締約国会議と呼ばれる。同条約は、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議において採択された3つの条約のうちのひとつである(他の2つは、国連気候変動枠組み条約と砂漠化防止条約)。

 
イオン環境財団
は、同会議(地球サミットとも呼ばれる)に2年先立つ1990年に創立された。

「ミドリ」は広い意味において環境を象徴する言葉である。財団の岡田卓也会長は、ウェブサイトに掲載したメッセージで、「この言葉は私たちの継続的な植樹活動に本来的に結びついています。私たちは、そうした活動が『根付き』、木々のように将来に向かって着実に成長していくことを願って、賞をこのように名づけました」と述べている。

「地球温暖化の防止と生物多様性の保全は、地球レベルでの2つの重要課題だと考えられています。2010年は国際生物多様性年です。……イオン環境財団は、私たちの美しく取替えの聞かない地球を将来の世代に残すためにさらなる貢献をしてゆきたいと考えております」。

イオンとはもともとギリシャ語で、「生命」「存在」「永遠」を意味する。

設立趣旨によれば、財団創立の背景には、「自然環境は、オゾン層破壊、地球温暖化、森林の激減、砂漠化、酸性雨の多発、海洋汚染などにより危機に瀕し」ているという認識がある。

こうした考えが、「小売業を超えて、社会への何らかの貢献をする」という岡田氏の決定の基礎にあった、と財団の神尾由恵事務局長は話す(岡田氏は日本ユナイテッド・ストアーズ株式会社=JUSCOの創立者でもある)。

JUSCO
は、1969年、岡田屋、フタギ、シロの3社が合併してできた。1960年代の不況の荒波を超え、事業を固めるためだった。岡田屋は3社の中でもっとも歴史が長く、創業は1758年。第二次世界大戦までは、着物などの織物を扱っていた。岡田氏は終戦後に事業を再開し、14軒のデパート店をもつチェーンに発展した。

JUSCO
は2001年にイオンに正式名称を変更した。日本で最大の小売業者である。所有、ジョイントベンチャー、投資などを通じて、イオンは世界で約4000店舗を傘下におさめている。日本では、イオンの看板の下に、JUSCO460店、コンビニの「ミニストップ」2600店、スーパーマーケット665店、ドラッグストアの「ウエルシア」1900店がある。イオンは、女性洋品チェーン「タルボット」を今春まで保有し、英国の洋服チェーン「ローラ・アシュレー」を一部所有している。

神尾事務局長によれば、岡田氏は企業の価値・役割は第一義的には利益追求であり、株主に奉仕することであるが、その利益の一部は地域社会に還元されねばならないとの考えを持っている。「小売業は地域社会によって支えられています。ですから、利益の一部を使って地域社会に貢献しなくてはなりません」。

1989年、イオングループの中核であるJUSCOは20周年を迎えた。この年はベルリンの壁崩壊の年であり、世界が大激動に見舞われた年であった。岡田氏は、企業としての責任を果たすため、南北問題が21世紀の重要課題になるという時代認識に基づいて新しい方向性を追求し始めた。そこから、「環境」というキーワードにたどり着いた、と神尾事務局長は語る。

こうした考えに導かれて、岡田氏は、「イオン1%クラブ」を立ち上げる。米国のミネアポリス訪問でみた「5%クラブ」に触発されてのことだった。「イオン1%クラブ」は、会社の業績に関係なく、グループ各企業が税引き前利益の1%を社会貢献に拠出するというものだ。

イオングループの熱心な参加と支援により、「1%クラブ」は、環境保護、国際的な文化・個人交流、地域社会・文化の復興、種々の支援・社会貢献を活動の中心にしている。

岡田氏は、クラブの創立1年後、イオン環境財団を立ち上げ、自ら保有する株式を寄付することを決めた。2010年時点で、財団は2112万8000株を所有し、一株あたり20円の配当を得ている。つまり、今年の収入は約4億2000万円であり、「イオン1%クラブ」はこれに1億円を寄付している。財団の神尾事務局長は、「イオングループが配当を出し続けるかぎり、わが財団は活動を維持・拡大できるということになります」と話す。

「岡田氏はかつて1%クラブと当財団両方の理事長を務めておりましたが、2008年以降は財団の理事長のみを務めております」と神尾氏は言う。これによって、両組織の透明性と独立性は増すことになった。

1%クラブが創設20周年となった2009年、「イオン環境塾」という新しい試みが始まった。この活動を通じて、イオンは地域住民が環境問題を学び討議する場を提供している。

同時に、「1%クラブ」の原田昭彦委員長がウェブサイトでのメッセージで述べるように、「学校建設支援基金」を通じてアジア諸国の学校設立を支援し、「小さな大使プログラム」をつうじて日本と海外の若者の相互理解と友好を深め、「イオンチアーズクラブ」と「ドイツに学ぶエコライフツアー」を通じて環境教育を行い子どもたちの健全な育成を図っている。

イオンエコツアーは、子どもたちが環境問題を考えるきっかけを提供し、環境への意識を高く持った新しい世代を育成することを目的としている。子どもたちは、学校や国立公園、家庭などの場所をドイツで訪問する。こうした子どもたちを「1%クラブ」では「環境に関する世界的リーダー」を呼んでいる。プログラムが2003年に始まって以来、316人の小中学生が参加してきた。

イオングループは、小売業からの利益にばかり目を向けるのではなく、環境を保護し、自らのサービスの質を高め、個人情報を保護する積極的な努力を継続して行う方針を確立している。同グループは、「企業の社会的責任」報告書を2005年2月20日に終わる会計年度から公表を開始し、それ以来、定期的に報告書を出すと同時に、様々な責任にコミットすることを再確認している。

毎月11日は「イオンの日」と決まっている。この日に買い物をした顧客は黄色のレシートをもらい、そのレシートを、様々なNGONPOの名前が書かれた箱に投函する。こうすることで、顧客は、ほんの小さなことで、自分の選択した活動の支援をすることができる。半年毎にレシート金額が合計されて、当該団体はその額の1%相当のものを、イオンから支援されることになる。

「このプログラムを通じた地域の市民団体に対する私たちの支援総額は10億円になる」と神尾氏は言う。このアイディアは元々、韓国のスーパーマーケット「E-マート」から来たものだ。イオンの販売担当がこの企画のことを知り、イオングループに持ち込んだという。

「この『企業の社会的責任』のすばらしい点は、お客様の思いを事業の中に取り込むことができるという点にあります。私の知る限り、こうした事業を日本で行っているのは、わがイオングループだけでしょう」と神尾氏は語る。

イオングループがながらく実行してきている「企業の社会的責任」活動は、植樹祭である。新しいショッピングセンターが建設される際には、地域住民が招待されて、イオンの従業員と共に一人当たり苗木10本を植える。

この試みは、マレーシアのマラッカにショッピングセンターが建設された1991年に始まった。日本では、岡田氏の出身地である三重県にショッピングセンターが建設された1992年に始まっている。埼玉県に日本最大のショッピングモール「イオンレイクタウン」(面積26万1633平方メートル)が作られたときにも同じように植樹がなされた。1991年以来、イオングループは923万本の苗木を植えてきた。
 
 
神尾事務局長は、植樹活動の重要性を強調して、こう語る。「イオングループが全国で出店させていただく中で、岡田理事長はしばしば日本全国津々浦々を回らせていただきます。12~3年前と比べますと、日本海沿いの風景はずいぶんと変わりました。冬には、海岸道路沿いの木々は日本海からの風に逆らって強く立っていたのですが、徐々に立ち枯れになり、いまやその多くが死んでしまっています。これをみて、岡田理事長は、大気中の二酸化硫黄が問題だと考え、それを世に問うていこうとされたのです。しかし、当時は誰も見向きもしませんでした。人々は汚染は中国から海を越えてやってくると考えていました。もしそれが事実なら、解決は日中協力を通じてのみなされるということになります。そこでイオン環境財団では、1993年、95年、97年と、当時の東大総長加藤一郎氏を議長として、『日中環境問題国際シンポジウム』を開催したのです」。

中国環境研究所との協力を通じて、多くの学者がシンポジウムに参加し、環境問題に関する多彩な議論が展開する基礎を築いた。当時の環境庁長官も参加している。

イオン環境財団は、このシンポを受けて、万里の長城周辺での植樹を提案した。植樹を通じて、いまや世界中に広まった環境問題への関心を広げるきっかけを作ったのである。原文へ


翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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