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│ベトナム│戦争と平和のテーマを融合し傷を癒す映画

 

【ホーチミンシティIPS=トラン・ディン・タン・ラム】

 

30年以上にわたって米国とベトナムとの間に横たわる傷をどう癒すかあるベトナム人監督がこうしたテーマに挑んだ映画を完成させた。監督・脚本はダン・ナット・ミン氏で、映画の題名は「焼くことなかれ(Don’t Burn)=邦題:きのう、平和の夢を見た」。この映画は、米国によるベトナム軍事介入が加速した1970年代初頭に米軍兵士によって射殺された当時27才の女医ダン・トゥイ・チャム(Dang Thuy Tram)が残した日記を映画化したものである。

 
1970年6月、米軍情報担当士官フレデリック(フレッド)・ホワイトハーストは、中部クアンガイ省ドゥクフォー県で掃討作戦後のベトコン基地に入った。そこは小さな病院だった。フレッドはそこで1冊の日記を発見し、南ベトナム軍の通訳(軍曹)に見せた。軍曹は、日記を手に取ると数ページ読み、「この日記は焼いてはなりません。なぜならすでにこの中に火が宿っているのですから。」と語ったという。(両氏は現場で集めた大量の文書から重要なものをより分け、残りを火に投じていた。)それはこの病院の若い女医トゥイ・チャムの日記だった。

日記の中にはこういう一節がある。「昨晩、私は平和の夢を見ました。故郷に立ち戻って、懐かしい人々の姿を見ました。ああ、平和と独立の夢は、3000万のベトナム人同胞の心の中で燃えている。」彼女が夢見た「平和」が、この映画のメインテーマとなっており、ミン監督はこの映画の脚本も手掛けた。また、「きのう、平和の夢を見た」という一節は、日記の英語タイトルとなり、2007年には米国で英語版が出版された。

フレッドは、米国での日記出版から1年遡る2006年にトゥイ・チャムの家族を訪ね、35年間手元においていた日記を遺族に返還した。その後日記は各国語に翻訳された。ベトナム国内では、革命の大儀に殉じた若人の物語として政府やメディアが取り上げ、大いに評価された。

しかしベトナムでは、先の戦争をテーマとした映画が既に多く制作されており、ミン監督は、この映画をそうした部類の戦争映画にして、トゥイ・チャムの日記をプロパガンダの手段としてしまうことだけは是が非でも避けたいと固く心に誓った。

「この映画のテーマは戦争についてではありません。それよりもむしろトゥイ・チャムという一人の女性の美しさと人間性を描いたものなのです。」と、同じくベトナム戦争を描いた名作「10月が来たら」でも広く知られるミン監督は語った。

ミン監督は、「かつての敵国同士が和解することを願って、この映画を作りました。」と語った。米国-ベトナム間には、米軍が戦時中に使用したエージェントオレンジを始めとする枯葉剤の後遺症の問題や米軍の行方不明兵士の問題等が残されているものの、この数十年の間に両国間の外交、経済、政治の分野における和解は進展してきた。
 
 
トナム戦争
(1959年~75)は、米軍が同盟国と共に支援していた南ベトナム政府を北ベトナム共産党政権による国土統一から守るため軍事介入したことから引き起こされた戦争である。ベトナムでは「アメリカの戦争」と呼ばれており、300~400万人の南北ベトナム人と58,000人の米兵が犠牲となった。そして1975年4月、北ベトナム軍がホーチミン市(当時南ベトナムの首都サイゴン市)を陥落させ、1976年にベトナムの統一がなされた。

フレッドはトゥイ・チャムの日記を届けた後も数度に亘って遺族(トゥイ・チャムの母と姉妹)を訪問し、その中で両者の間に友情が育まれた。映画ではこうした側面が直接的に描かれてはいないが、両国の民衆の間の和解が根付いてきていることを示唆する内容となっている。

「フレッドやロバート・ホワイトハースト(同じく従軍経験者で南ベトナムの風土に惹かれ、ベトナム人を妻にした米国人)のようにベトナム戦争の記憶を共有してくれた元米兵の協力なくしてこの映画は完成しなかったと思います。この映画の中にも7名のアメリカ人俳優が米兵の役で登場しています。」と、ミン監督は語った。

以下に紹介するいくつかの反響がこの映画が米国の観客にどのように受け止められたのかを物語っている。新聞報道によると、多くの在米ベトナム人や大学講師、生徒がいくつかの大学で行われた映画「焼くことなかれ」の上映会に続く討論会に参加した。

ニューヨークのカントールフィルムセンターでは、同市に拠点を置く「和解と開発財団」のジョン・カコーティフ専務理事が、ミン監督に対して「憎しみではなく、全編に亘って愛と平和への夢、兵士たちの絆について描いた素晴らしい作品を有難うございます。」と感謝の言葉を述べた。

こうして映画「焼くことなかれ」が、多くの感動した観客が上映後涙目で映画館を後にするなど米国人観客の間で概ね歓迎されている一方、在米ベトナム人コミュニティーの間ではやや懐疑的な見方も存在する。たとえば、「この作品は感情には訴えるものの、もっと本質的な問題-米国によるベトナム介入の正当性そのものや、過去の政治的な歩みの違いから依然として分断されているベトナム南北の問題-まで内容が掘り下げられていない」とする見方だ。

映画を見たベトナム系アメリカ人の学生の中には、「この映画は、ベトナム戦争の性格、すなわち解放戦争だったのか内戦だったのかといった点や、1975年の米軍撤退後に南ベトナム軍兵士や一般民衆が直面した苦境については描いていない。」とコメントする者もいた。


「この映画が、古くから敵対関係にある者同士の和解を目指したものというのは理解に苦しみます。殆どのアメリカ人にとってベトナム戦争は既に過去の出来事なのです。アメリカ人との和解というのは、あたかも大きく開かれているドアをノックするようなものです。和解をすべきはむしろ南ベトナムの人々とではないのでしょうか。」と、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の学生トラン・タンは語った。

それに対してミン監督は、「観客にはそれぞれの考え方があり、私はそうした異なる様々な考え方を尊重します。」と語った。この作品は2009年には福岡国際映画祭に招待され「観客賞」を受賞している。

またミン監督は、「南ベトナムの問題を扱っていないわけではありません。なぜなら、日記を焼かずに守った南ベトナム軍通訳の軍曹の所在についても触れているのですから。」と反論している。

しかし映画は、その軍曹の名前についても、その後どうなったのかについても触れていない。いくつかのベトナムメディアはその元通訳の兵士の名を「フアン(Huan)」と報じている。


「トゥイ・チャムの日記は、南ベトナム軍軍曹の理性的で人間味あふれる姿勢がなければ今日まで存在することはなかった。しかし彼の存在は、映画の最後に流れるクレジットに形式的に触れられただけに過ぎなかった。」とベトナムで最も権威ある独立系ウェブサイトタラワス(Talawas)は辛辣なコメントを掲載した。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩


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