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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER
防災計画で人々のことを忘れてはならない

 The 2017 Global Platform for Disaster Risk Reduction conference was held in Cancun, Mexico, from May 22 to 26. Credit: UNISDR【メキシコシティIDN=エク・ソリア】

5月22日~26日にメキシコのカンクンで開催された「2017防災グローバル・プラットフォーム会議」には、民間セクター、学術研究機関、市民社会組織から防災専門家や政策決定者らが集い、タイムリーかつ効率的な形で災害の影響を減じ、災害に適応し、復旧を図るとの加盟国政府の公約について協議がなされた。

なかでも重要な議題は、2015年3月の第3回国連防災世界会議で採択された「仙台防災枠組」の履行に関して世界的にどの程度の進展があったか評価することであった。同枠組は、15年計画の自発的かつ拘束力のない合意で、国には防災の第一義的責任があるが、地方自治体や民間部門などのその他の利害関係者と責任を分担すべきとされている。

SDGs達成の手段としてのスポーツ

The Commonwealth【ジョージタウン(ガイアナ)IDN=デズモンド・ブラウン】

コモンウェルス(英連邦)が発行した新しいガイドブックが、スポーツへの投資によって、急増する保健関連コストを抑え、教育や社会の一体性、ジェンダー平等を促進することができると述べている。

持続可能な開発目標に対するスポーツの貢献度を高める』と題されたガイドブックの勧告はカリブ海地域にとって重要なものだ。というのも、この地域では、慢性病や感染症が個人や地域社会に深刻な被害を及ぼしており、生活の質が下がり、地域の開発にとってますますマイナス要因になりつつあるからだ。

画期的なトラテロルコ条約の成功から50年

UN High Representative for Disarmament Sergio Duarte at the Conference on Facilitating the Entry into Force of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty on 23 September 2011. Credit: James Leynse | CTBTO Preparatory Commission2017年2月14日、ラテンアメリカ・カリブ海地域核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)は50周年を迎える。同条約は、核兵器の実験・使用・製造・生産・取得を禁止している。同地域の全33カ国がこの条約に加盟している。本記事は、同条約の重要性を詳しく検討するものである。

【ニューヨークIDN-INPS/TMS=セルジオ・ドゥアルテ、ジェニファー・マックビー】

地球上の人間の住む地帯に初めて非核兵器地帯が設置されたものとして、トラテロルコ条約は、世界および地域の軍縮・平和・安全保障に重要な貢献をしてきた。条約効力の無期限化、留保の禁止、核兵器の定義、消極的安全保障を通じて非核兵器地帯の地位を尊重するという核兵器国による約束、加盟国による平和目的に限定した原子力エネルギー利用の容認等、この条約は数多くの革新的な条項を含んでいる。

|エクアドル|持続可能な開発目標達成のカギを握る民衆

Rafael Correa, President of Ecuador, addresses the general debate of the General Assembly’s seventieth session on 28 September 2015 at the United Nations in New York. UN Photo/Kim Haughton.【キトIDN=ネルシー・リザラーゾ】

15年前にエクアドルのサンパブロを訪れたことがある。それはまさしく、マナビ州都ポルトビエホの中で最も貧しい地区であった。

当時、安全な飲料水へのアクセスはなかった。人々は、中等教育はおろか、すべての人々にとっての基本的な無償教育の可能性など、想像すらつかなかった。夕方5時以降に出歩くことなどできず、診療所には十分な医療スタッフも薬もなかった。

持続可能な開発達成を見すえるコスタリカ

Photo: Heliconius doris Linnaeus butterfly of Costa Rica. Credit: Wikimedia Com-mons.【サンホセIDN=ホセ・ラファエル・ケサダ】

人口およそ500万人の中米の小国であるコスタリカは高い人間開発指数を誇り(世界で69位)、ラテンアメリカで民主主義の道を着実に歩んできたとみなされている。

コスタリカは、教育への積極的な投資(識字率96%)、比較的整った福祉制度、高いレベルの開放性、国際市場における競争力により、経済協力開発機構(OECD)の加盟候補国になっている。

|チリ|より公正な社会を求める木曜日

Photo: Streets demonstrations in Santiago for quality education. Credit: José Gabriel Feres | Pressenza.【サンチアゴIDN=ピア・フィグエロア】

チリの学生らは2011年以来、自由で良質な教育制度を要求して、毎週木曜に街頭に繰り出してきた。

こうした学生たちに、ラテンアメリカ全体で最も高い学費に悩まされている親たちや、教育キャリアの適切な評価を求める教員らも、徐々に抗議の輪に加わるようになってきている。

世界初の脱CO2経済をめざすコスタリカ

The natural reserve Finca Rosa Blanca in Heredia Province, Costa Rica. Credit: Fabiola Ortiz中米のコスタリカは、平和の文化を追求し、完全なカーボンニゥートラルを目指すことで世界市民の概念を体現する、模範となる国である。

【サンホセIDN=ファビオラ・オルティス】

人口500万人弱のコスタリカは、中米の近隣諸国が武力紛争に巻き込まれていた1940年代末に軍隊を廃止したことで有名になった。中米における「平和のモデル」になった同国は、今では、世界経済の脱炭素化プロセスの大規模な実験場として名を馳せようとしている。

この熱帯の国は2021年までにカーボンニゥートラル(CO2排出ゼロ)をめざそうとしている。達成されれば21世紀最初の20年のうちにこの目標を達成する世界で初めての国ということになる。コスタリカ政府が2007年に発表したこの大胆な政治目標を実現するためには、社会や民間部門の支持が不可欠だ。2021年という年は、同国が独立して200周年目にあたり、コスタリカ国民はこの目標を強く支持しているようだ。

|アルゼンチン|学校菜園で子どもの健康を守る試み

Rita Darrechon, the principal at the La Divina Pastora rural school, talks to a group of schoolchildren about the garden where they are growing food for their school meals. Credit: Fundación General Alvarado【ブエノスアイレスIPS=ファビーナ・フライシネット】

アルゼンチンは肥沃な土地に恵まれているにもかかわらず、経済破綻の影響で数百万世帯が十分な食料を確保できないでいる。こうした中、ウエルタ・ニーニョプロジェクトでは、低所得者が大半を占める地方の小学校を対象に、敷地内に有機農作物の菜園を作り、子どもたちに飢えと闘うための食物栽培の方法を教えながら健康的な食習慣を指導する活動を展開している。

│ペルー│希望を見出す低所得者層の癌患者

Claudia Alvarado, with her parents and her nail polish, who along with Peru’s Plan Esperanza have helped her to bravely face the treatment for leukaemia. Credit: Milagros Salazar/IPS【リマIPS=ミラグロス・サラザール、2014年4月10日】

体重わずか18キロの彼女の細い手足の爪先には、さまざまな明るい色のマニキュアが塗られていた。まだ幼い彼女がたどってきた半生とはまったく異なった色である。

現在まだ7歳に満たないクラウディア・アルバラドちゃんは、ペルー政府が提供する癌治療プログラム「希望計画(Plan Esperanza)」の支援を得て、臨床検査と、時には痛みを伴う治療に耐えながら、白血病(血液の癌)と闘っている。

言語に絶する負の遺産を残す核兵器

Yasuaki Yamashita at the Second Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons, in Nuevo Vallarta, Mexico. Credit: Emilio Godoy/IPS【ヌエボバジャルタ(メキシコ)IPS=エミリオ・ゴドイ】

山下泰昭さん(74歳)は、米国が1945年8月9日に長崎に投下した原子爆弾で被爆した自身の経験を、長らく人には語ってこなかった。

1968年にメキシコに移住した山下さんは1995年に友人の子どもから、原爆の講話を重ね重ね依頼されやむ無く引き受けたのを契機にそれまでの沈黙を破り、長崎と世界全体の運命を一変させたその朝の出来事を語り始めた。

「私は当時6歳で、爆心地から2.5キロのところに住んでいました。普段私は、友達と一緒に虫を捕まえに近くの山に行っていたのですが、その日は家の前に一人でいました。近くには母がいて、食事の支度をしていました。」と物腰が柔らかく、白髪で端正な顔立ちの山下さんはIPSの取材に対して語った。